耳障りの良いことば

97回「武禅」は定員になりましたので締め切りさせて頂きました。
次回は秋に予定しています。
昨日は「明鏡塾」3期生の3回目のセミナーだった。
毎回の宿題は、それぞれ違った答えを出してくれる。
もちろん、どれが正解なのではない。
それぞれの違った答え、というところが重要で、それこそがそれぞれの個性の違い、実力の違いだからだ。
それをどう伸ばしていくか、どうすれば伸びていくか。
そこを追求するという側面を持つのが「明鏡塾」だ。
こういった事は、マス教育では不可能だ。
学校教育の現場では、個性や自立等、耳障りの良い言葉が並んでいるが、それは単に「耳障りの良い言葉」なのだ。
愚息が小学生の頃、今から30数年前になるが、私はその耳障りの良い言葉と実際との違いを、地元教育委員会に問題があるとしてもめた事がある。
極端に言えば、日本人は、そういった耳障りの良い言葉が好きな民族だと思わざるを得ない。
違う言い方をすると、それらの言葉が並ぶことで、それらが実現すると思う、夢見る民族なのではないかとも思う。
だから、大方の人は素晴らしい言葉を沢山知っている。
しかし、その素晴らしい言葉を実体化するにはどうすればよいのかは知らない。
素晴らしい言葉を連呼する、あるいは、少し変えて言うだけだ。
その頭の構造を変えなければ、折角の言葉が交通標語に成り下がる。

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