何も分からないから歩くのだ

どんなことでも、全ては「自分次第」だ。
自分としては、どう捉えるのか、それに尽きる。
「日野さんはまだ伸びると思いますか」とフランスで質問された。
「もちろん」と答えた。
つまり、自分の現在の立ち位置はどこなのか、それを決めるのは自分だ。
もちろん、それは相対的にではない。
自分としてどうなのかだ。
「どうして伸びると思うのか」と続いた。
「分からないことだらけだからだ」と答えた。
私の答えは、質問者の意図したものではない。
質問者にとっては、目の前でとんでもない身体の技術を見せつけられているから、そこまでの道のりも踏まえての質問だった。
しかし、実際のところ自分にとっては、何も掴めていないというのが本当のところだ。
他人から見て「何かが出来ている」ようには見えるだろうが、私にとっては何も無いに等しい。
だから、まだまだ伸びるだろう、と思えるのだ。
それこそ、一つ分かれば、二つ分からない事が現れる、
そんな感じだからだ。
だから、目の前に現れた問題に取り組んでいくしかないのだ。
「どこまで伸びるのか」とも聞かれた。
「それは何も分からない、だから伸びるのだ」と答えた。
何も分からない、ということが分かるから、その何も分からないということを、もっともっと明確にしたい。
そうなのかもしれない、と後で思った。
「私はどこへ行くのか?」
もし、それが分かっているのなら、そこへ行く必要は無い。
すでに終わっていることだからだ。
どこへ行くのか分からないから、ただひたすら歩いているのだ。

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