わたしが考えると

「何も分からない」というのは、分かっても意味が無い、という視点をどこかで持っているからでもある。
全ての物事には絶対が無いからだ。
だから、常に「その時点では」という但し書きが必要なのだ。
そういったことは、武道を探求することで発見していったことだ。
物事を深く考えられるようになるには、深い材料が必要だ。
それが私にとっては二つあるから幸運なのだ。
武道と音楽。
どちらにも正解も正答もない。ひたすら普遍に向かって歩く、それだけのものだからだ。
ダンスは、身体に音楽がなければ駄目だ。
もちろん、それは現代において音楽と呼ばれている楽曲やジャンルの話ではない。
それは、実力のある指揮者を見ているとよく分かる。
時々書いている日本が誇る世界の指揮者小澤征爾さん。
TVや書籍でお目にかかるだけだが、指揮を見ていると音楽が見えてくる。
それを見ているだけで感動する。
私はそれをダンスだとしている。
だから先日のアムステルダムでのBalletのワークショップでも、そういった話をした。
いくら形が整っても、身体に音楽がなければBalletにはならないと。
それは、もう少し広げてダンスにはならないとなるのだ。
もちろん、実際には私の主張している事などと全く関係なく、ダンスは展開されている。
しかし、死ぬまでダンスを展開している人は稀だろう。
大方のダンサーは、死ぬまで探求する材料を持っていないからだ。
つまり、芸術としての奥行きが薄いということなのだ。
若い時だけのモノであれば、ある種のスポーツ競技と同じだ。
もちろん、私の戯言には誰も耳を貸さない。
それは、私にとってはどうでも良い。
それが私の考え方だからだ。

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