答えではなく問題を明確にしていくこと

自分の問題というのは、それほど大げさなものではない。
単に「これが出来ない」とか「これをこしたいけど」というような、日常的な些細な事でも「自分の持つ問題」だ。
それがあった時、他人に耳を貸す。
つまり、自分の力ではどうすることも出来ないと、自分自身が自覚していれば、他人という存在、あるいは、自分以外の何かを探す。
むろん、それがセミナーだったり、本であったり各種教室だったりもする。
しかし、ここで本当に大事なことは、「自分の問題が明確」かどうかだ。
それがハッキリしていないと、言葉や見たことに振り回されることになるのだ。
言葉同様、見る目というのも不確か極まりないものだからだ。
それらは、自分のレベル以上のこと、自分の趣向や思考の方向性以外の事は全く分からないからだ。
そういった事に気付けば、「自分の力ではどうすることも出来ない」ということにも気付く。
ただ、そこに時間というものがあり、制限を設けなければ自分のレベルを上げていくことが出来るので、言葉のレベルも見るレベルも上げられる。
私は、後者「時間の制限を設けない」方を選んだ。
だから、それこそコツコツと、自分の問題を明確にするという事に取り組んでいったのだ。
答えを探すのではなく、問題を明確にしていくのだ。
「これが出来ない」を、「どう」出来ないのか、それは「どうしてか」というような突っ込みを入れることで、探っていくという方式だ。
例えば、武道の「横受け」にしても、「出来ない」ではなく「どう」出来ないのかだ。
そうすると、その「どう」という中に色々な要素が有ることに気付く。
例えば、緊張する、肩に力が入る、相手の突きにビビっている等々、色々ある。
それを一つだけ選び取り組んでいくのだ。
そうすると、その一つの中でまた問題を発見する。
その繰り返しだ。
だから、一つの「出来ない」が「出来る」になり、「まだまだ」という図式が明確に分かるのだ。

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