分からないことは分からない

不確かな言葉をどうして使うのか、例えば「気」だ。
武道をやっている立場上、そういった言葉をよく聞くし、質問される。
もちろん、私には分からないから「分かりません」と答える。
それを使っている人は、その言葉が自分としてしっくり来るからかもしれないし、どこかにその事が書かれていて、しっくり来るからかもしれない。
ただ、私にはしっくり来ないから「分かりません」と答える。
それと同様に「エネルギー」とか「波動」とかも聞くし質問される。
そのエネルギーや波動という言葉を、一番弟子の科学者も使う。
その場合には、科学者にとってその根拠が明白だから、その言葉は自然と耳に入る。
だから、二人の間ではこの2つの言葉をテーマに会話は弾む。
しかし、私単独ではエネルギーも波動も気も、言葉としての確信を持っていない。
だから使わないようにしている。
場所に応じて「~かもしれませんね」という程度で使う場合はある。
私自身がまだまだ未熟な状態、まだまだ成長過程の中だから、安易に分からない言葉は使わないようにしている。
それらを、専門の誰かが解き明かしてくれたとしても、私自身が解き明かせなければ、私にとっては全く意味を成さないのだ。
もちろん、解き明かしてくれれば、その言葉を使うことは出来る。
PCの構造や仕組みは全く分からないが、こうして使うことが出来るのと同じだ。
しかし、PCは私ではなく作業をする為の道具の一つだ。
言葉は私自身だ。
という違いが私にはある。
その意味で、私にとって必要であれば、きっと解明していくだろうし、必要なければ永遠に「分かりません」なのだ。
分かる必要の無いことを分かっても仕方がない。
それこそが情報に振り回されているということだ。

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