技術を使えるの様になるのは難しい、だから
原理が分かってくると、その技術は手に入る。
もちろん、直ぐにというわけにはいかないが。
先日大阪教室で、横受・掛け手を練習した。
少しの稽古でそれなりに皆やれている。
私自身が取り組んだ時は、まずは横受だった。
これがとんでもない難関だった。
しかし、出来ている先輩達を見ていると、いとも簡単に見える。
もちろん、出来ない人と出来る人の差は、そういったものだ。
当時は、練習量の問題なのか、それとも根性か、等と解決しない答えを出すのが関の山だった。
原理などという言葉は頭の中には無かった時代だ。
色々なやり方を嫌というほど試した。
結果出来るようになった。
この「出来る」は使えるという意味も含んでいる。
しかし、出来たでは話にならない。
私の中の何かが、「出来た」には満足しなかったのだ。
で、「出来ている」ことから、色々な要素を引き出していった。
そして、やっと原理に辿り着いたのだ。
原理である限りにおいて、それは全てに当てはまらなければならない。
そんな事を遊んだ。
もちろん、今もそれを遊んでいる。
だから、30年前に習った人より、10年前に習った人より、後発の人はどんどん手に入りやすくなってる。
「一体、今までの苦労は何だったのか」とさえ思ってしまう。
それが技術というものだ。
手に入りやすいものは早い程良い。
それを使う事の方が難しいからだ。
相手との関係性という、難関がそこにあるからだ。
それ自体が難しい時、それが「出来ること」自体が目的になる。
しかし、難なく出来る様になると、「使えるのか」という本来の目的が見えてくる。