アドバイスは難しい

以前も書いていることだが、教室やワークショップで、アドバイスの仕方を聞いていたら相当面白い。
相手が出来ていないとすると、持論を展開したり、自分の知っていることを相手に話す人が多いのだ。
つまり、全く相手を見ていないし、見ていたとしても「出来ていない状態」を見ているだけということだ。
それこそ初心者レベルの人に、深い内容を話しても分かる筈もない。
にも拘らず、そこを話す。
そしてアドバイスした気になっているのだ。
「この人のこれが出来るようにするには、どうすればよいのか」そこを考えて話さなければ、一切の意味はない。
その意味で、アドバイスというのは相当高度で難しいものだ。
ただただ「出来ていない」と言っても仕方がないし、その人のレベル外の事を言っても理解できない。
本当に、その人と対峙しているのかどうかが問われるということでもある。
また、アドバイスを聞く人も聞く人だ。
どうして言われた事に質問しないのかが分からない。
自分には分からないということを、全く分かっていないのか、あるいは、社交辞令的に質問しないのか、質問することが恥ずかしい事だと思っているのか。
質問しない理由は私にはまるで分からないが、私は会話の中でもよく質問する。
それは、一般常識的に理解できることは別にして、その人個人の感覚であったり、推論であったりした場合、どういった経緯でその言葉が出て来たのかを知る為だ。
それが分からなかったら、その場で話している事が全く理解できないことになるからだ。
つまり、多くの人は会話にそれほど重要な価値を持っていないということだろう。
では、どうして他人を理解できるのだろうか?
どんな状況であれば理解できるのだろうか。
もちろん、それはある。
仕事や作業、そしてチームプレイを必要とする何かだ。
そんな中で、人の動きを見ていると、何をどれほど理解しているのか、あるいは理解していないのか、人柄はどうか等々が良く見えるのだ。
そこに会話は必要ではない。

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