良い子は答えを先に出すな
お湯や火で火傷をしたことのある人と無い人とでは、「熱い」という言葉の実態を知っているのか知らないのかの差がある。
どちらが良いのかということではない。
実態を知っていれば、その対処が出来るが、知らなければ対処が出来ない。
また、具体的イメージを持てるか持てないか、そこから何かを創造出来るか出来ないか、その違いであり差があるということだ。
もちろん「熱い」という言葉に、あるいは、自分の使う言葉に疑問を持たなければ、こういった発見は無いが。
子供の頃「良い子」として育った人、学校でも「良い子」だった人。
それは、両親の言いつけを守り、先生の言うことを守った人だ。
それは、私から見れば別世界の素晴らしい人だ。
ただ、両親の言いつけを盲目的に聞いていたとすれば、自分が物事を考えるという作業を放棄していたことになる。
もちろん、先生の言いつけを守っていたのなら同様だ。
自分自身の力で物事を考えるには、相当のエネルギーが必要になる。
しかし、それは探究心や向上心の現れでもある。
言いつけを守ってきた人は、「言われ慣れ」している人で、しかも予測可能な言われ方であり、解釈出来る「言いつけ」だ。
そこに言われたことのないタイプの設問が投げかけられたらどうなるだろう。
パニックを起こすだけだ。
機転の利く人は、もちろん、その限りではない。
社会というのは、親の言いつけ通り、学校の先生の言いつけ通りの実際は皆無だ。
但し仕事などは、言いつけ通りの事が多い。
その意味で、優等生や良い子はスムーズにこなせる筈だ。
しかし、問題は何かしらのアクシデントがあった時に起こる。
また、人間の関係ということになると、予測不能なことばかりだ。
人は全部違うからだ。
自分の予測側に引きずり込めない人間関係は、それこそ予測不可能だ。
人は皆違うと知りながら、自分の理解にしか当てはめることしか出来ないからだ。
相手という実体を見て感じて理解していく、その基本的な作業が出来ないのだ。
ではどうすれば良いのか。
まず、答えを持たないこと、自分で何かを決めてみること。
そして前に進んでみること。
そこで起こる自分自身の問題を見つけること。
それしか無いだろう。