1歩進んで2歩下がる

熊野に道場を建てようとした時、とにかく水平であれば何とかなると、何の根拠もなしに思った。
よく、「建築の心得か大工さんの心得があったのですか」と聞かれた。
もちろん、今でも聞かれる。
金槌もノコギリも使ったことはないし、棚一つ作ろうと思ったこともない。
しかし「職人名人でも最初は素人」という私の考え方がある。
だから、何時でも素人としてスタートを切れるのだ。
確かに水平であれば、そこに物を乗せて行っても大丈夫だ。
それくらいの感じが建設のスタートだった。
だから、3歩進んで2歩下がるではなく、一歩進んで2歩下がるというのは当たり前だった。
つまり、一歩進むことで、その次が分かってくる。
そうすると、この一歩の前にやらなければならないことがある事に気付く。
それの繰り返しだった。
しかし、それでも抜け落ちていることは多々ある。
建物は水平の上に建てる事が出来るが、そのまえに地盤はどうなっているのかがある。
それに気づくのに5年はかかった。
建てるのと同時進行で、チェンソーの扱いを覚えたり、建築構造を考えたり、設計を考えたり、材料を考えたりしていた。
分からない事があると、木造建築の現場を探し、見せてもらったものだ。
古い建築物を研究している時、その地盤という事に気付かされたのだ。
1,000年以上の時間の中、地震や天変地変に動じること無く建つ木造建築の考え方を知る事で気付いていったのだ。
柔構造という事も具体的に知った。
こんなことが、身体を考えたり、武道の技術を考えたり出来る側面でもある。
結局、この道場建設は道場建設ではなく、私を建設する格好の材料だったのだ。
その意味では、道場を建てた事は必然だったのだろう。
つまり、偶然や必然というのは、全て結果論であり、そう話せる自分自身なのかどうなのかだけだ。
そう話せる自分自身というのは、自分以上の、つまり等身大を超えた壮大なロマンを持っているのかいないのか、そしてそこへ歩いているのかいないのかだ。

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