balletと音楽

武道には奥義という最高級難度と言われる技というか境地というか、そういうものがある、……ようだ。
もちろん、奥義だから現代において到達した人がいるのかいないのか知らない。
私はそういった希望というか夢というか、不可思議なものというか、そういうものが好きだ。
「それは何だ?」と探求するのが好きだ。
それを探求する為には、その糸口を見つけなければならない。
それを見つけ出すのも好きだ。
「多分この入口から入れば辿り着くのではないか」
もちろん、間違っているかもしれない。
しかし、その道を歩き続ける、それが好きなのだ。
そんなことが高じて「関係性」という代物を発見した。
それは、奥義への道ではないかもしれない。
しかし、この関係性、相互の関係性ということが、ある種の重要なキーワードだとした時、様々な事象が次々に氷解していった。
今、Classicballetでの構造的教則本作りを、balletの先生と取り組んでいるが、これが出来るのも「関係性」の発見からだ。
Balletには音楽がつきものである。
しかし、それは観客にとって説明的意味合い、あるいは感情を喚起する為のものだとした方が良い。
Classicballetのダンサーは、基本的に音楽が内在していなければならない「筈」だからだ。
だから、その重要性をダンサーに気づかせる為に、音楽を無くして作品を稽古させる必要がある。
出なければ永久に、音楽は伴奏、音楽は背景という低次元の認識しか持てない。
あるいは、音楽が内在していると思い込んでいるという状態から脱しない。
昨日のワークでは「感情」がテーマになった。
感情が表現される為には感情を持ってはいけない。
あくまでも、表現だからだ。
つまり、コントロールされていなければならないのだ。
もちろん、感情も内在しているものだから、どこに視点をあてて探り出すか、という作業があれば、それは困難なことではない。
そんな視点を持っていないというところが問題ではある。

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