芸は盗むものやで。母の言葉だ
「全ては見えている」は、特にドラマーになってから確かなものになった。
これも何時か書いたことだが、有名なドラマーに友人は習っていた。
私を紹介しようかと言ってくれた。
それを聞いた時、飛び上がって喜んだ。
左手が思うように動かないから「左手が動く薬があれば、たとえ100万円でも払うよな」そんなことを、仲間のドラマー達と話していた駆け出しの時代だ。
その有名なドラマーは、梅田にあるジャズ喫茶で演奏をしていた。
だから、時々は聴きに行っていた。
何しろ、駆け出しの頃は無給なので、バイトをしなければ行けないのだ。
紹介してもらえるという頭で、そのジャズ喫茶の前まで歩いて来た。
ふと、「何を習うのだろう・何を教えてもらうのだろう」と頭をよぎった。
音は耳があるから聞こえるし、目があるからやっていることは見える。
では、一体何を習うのか。そんな事を考えることで、「習いたい」という視点から、盗んでやろうという視点に変わった。
「芸は盗むものや」昔からある言葉だ。
そしてジャズ喫茶に入り、その視点で演奏を見た。
もちろん、こればかりは見たからといっても直ぐに出来る筈もない事だ。
だから、ここから工夫が始まるのだ。
数の稽古と質の稽古。
とは言っても、まずは数だ。
私の行き先は決まっているので、そこに行く為のドラミングであり、それを実現するための技術が欲しいのだ。
だからこそ、目先の課題を徹底的にクリアする。
狂気の時間とでもいおうか、そんな密度の濃い時間を過ごしたのが駆け出しの頃だ。
一日中ドラムであり音楽だ。
道を歩いていても、電車に乗っていても、喫茶店で友人と話をしていても、家に帰っても寝る間を惜しんで没頭した。
その集中力は、誰にも教われないし習えない。
もちろん「どうすれば」を考えだす頭の事も、誰にも教われないし習えない。
そんな力が、ジャズや演奏、そして観客との関係等々を考えだす基盤を作っていたのだ。