自分に興味がない?分からん
言われたことをやる、注意されたことを改める、指摘されたことをやる。
そのどれもが正しい。
しかし、一段階抜けている事がある。
「どうしてそう言われたのか」と考える事だ。
もちろん、考えるまでもない事もある。
それは別だ。
そして、自分を振り返るという作業を持ち、自分に対する工夫が始まる。
どうもそのことをしない人が多いように思う。
その事が理解できない。
人からそう見えた、ということで言われたり注意を受けているのだが、その事を既に知っているのなら、そして、その事を修正しようとしている最中なら、それはそれで良い。鵜呑みにするのは良くないというのだ。
「どうして」が必要なのだ。
それは自分自身の問題にする為だ。
その意味で考える必要があるのだ。
そこが抜けているから、出来ていても直ぐに忘れてしまって出来なくなるのだ。
その事を角度を変えて「自分には全く興味を持っていないのか」という言い方をする。
自分に対して興味がないなら、自分が相手からどう見えているのかに興味が無くて当然だからだ。
大分前に、半年に一度の特養研修で、ケアマネージャーだったか忘れてしまったが、課長クラスの人に自分の職業を話して貰うという時間を持った事がある。
その時に、とうとうと専門用語を並べ、それこそ意味不明な説明をした。
私が「分からないからもう一度」というと、同じことを繰り返した。
当人は話しきったことで満足しており、きっと理解できない私が悪いと思っただろうと思う。
私は「あなたは、この皆の居る場で話をしました。それは、自分がどれだけ頭が悪いのか、という事が表現されていたけど、そういうつもりで話したのか」と聞くと、目を白黒させていた。
自分が相手から、周りからどう見られているのかを知らないし、それが、自分自身に興味が無い、ということの現れだ。