明日から合宿
明日から、もう20数年続けている夏の合宿だ。
当初は1週間とか10日間とか、怒涛の合宿だった。
それも、時間が経つと様変わりしている事が分かる。
それは、日々と同じで、目の前の事だけを見ていると分からないが、時間という不思議なものが経過すると見えてくる事がある。
その意味で、時間は残酷なものだとも思う。
つまり、前に進んでいるのか、そこに停滞しているのかが一目瞭然だからだ。
昨日「選択の自由」を書きながら、「選択など出来るのか」とふと思ったと書いた。
もちろん、コーヒーを飲むのか、紅茶を飲むのかの選択は出来るが、私は納豆は嫌いだから、絶対に食べない。
という「大嫌い」というクセが幅を利かす時、それを絶対に選ばない。
しかし、もしもこれを食べなければ生きていけない、という状況であれば、絶対に食べる。
つまり、自分に余裕がある場合の選択など、結局のところ好き嫌いの範疇から抜け出ないということでもあるのだ。
コーヒーを飲もうが紅茶を飲もうが、それがどうした、というレベルのことだから、選択とは呼ばない方が良い。
ただ、自分のクセを矯正する為に、であれば有効だ。
それも時間の経過とともに、クセの矯正が出来たか出来ないかは見えてくる。
その意味では、目先の地道な一歩が大事だ。