心理学者は
下顎の骨にくっついた親知らずを抜いた。
これは歯科医の仕事ではなく口腔外科の仕事だ。
1時間足らず、口を開けっぱまなしだったので、口は相当疲れた。
結局5針くらい縫って手術は終わった。
歯茎の腫れの原因を取り除いたから、これで悩まされる事はない。
何もする気になれなくて、テレビを見ていると「大阪人」という特集をしていた。
クシャミの後「ボケ・カス・アホンダラ」他、様々な口癖が飛び出すのが大阪のおっさん達の特徴だという。
そう言えば、私自身もクシャミ自身を大きく出す癖がある。
たまに「ボケ・カス」と出る。
テレビでは有名な心理学者がそれを分析して「クシャミは無意識的なものだから、それを人前でするのを恥ずかしいと思い、照れ隠しとしてクシャミの後に言葉を付け足すのです」と言っていた。
「このおっさん何を言うてんねん」だ。
クシャミを恥ずかしいと思ったこともないし、照れくさいとも思ったこともない。
心理学者に分析させるなら、おっさん達にそこまで聞けば良かったのだ。
通天閣界隈のおっさん達に「照れ臭いですか、照れ隠しですか」と聞いて見れば良い。
敢えていうならば「おもしろい」から「目立ちたいから」言っているだけだ。
きっと、この心理学者は通り一遍のマニュアルに当てはめたのだろうと思う。
人はそれぞれに違う。
そんな事は周知の事実だ。
もちろん、クシャミは無意識的な生理反応だという意味では共通する。
しかし、それを「恥ずかしい事」という、躾や教育で培われるものが共通することはない。
もちろん、同じ躾、同じ教育を受けたなら、ある程度共通するかもしれない。
しかし、同じ日本人ということで共通する、同じ人間ということで共通する、と考えるのは危険極まりない。
私の友人が「俺なんか小学1年生の時から、じっと席に座っているのも嫌いで何時も立たされていたし、先生の言うことを聞かなかった。親のいう事も聞かないで、頭に来たらそのへんのものを破ったり壊したりした。おばあちゃんが『もう、気が済んだか』と笑っていたで」と振り返っていた。
彼は現在特養の常務として、立派な仕事をしている。
彼の子供時代と私の子供時代は相当かぶる事がある。
私も同じで小学1年生から学校をサボっていた。
これを現代に持ってくると、完全に病気だ。
例えば、注意欠陥多動性障害だ。
現代とこの頃と比べると明らかに違うところがある。
それは大人が大人だったことだ。
「もう気が済んだか」とドシッと構えているおばあちゃんであったり親がいた事だ。
それが子供の情緒の安定を作るし、反抗しても手応えが無いので、反抗する気にもならなくなるのだ。