歯科医では痛みと勝負をする

歯茎の腫れは、実はその奥に潜む親知らずだった。
その親知らずの事は完全に忘れていた。
もう10年以上前、今診察してもらっている歯科医の友人と、数年がかりで奥から引き出すという実験をした。
しかし、結局無理だと分かって、放っておいての大丈夫だろう、ということで放置していたのだ。
その親知らずが、無理なマッサージで爆発したということだ。
「今からやるのは、相当痛いよ」
衛生士との会話が聞こえる。
「その人に恨まれる程痛い、トラウマになるで」と。
化膿している膿を吸い出す、絞りだす作業だそうだ。
歯茎を徹底的に押さえ、文字通りバキュームで吸い出すそうだ。
「それより、よくこれを今日まで辛抱できたな」
「いや、辛抱せなしやないやん」
歯医者で治療をしてもらうのは、相当稽古になる。
何の稽古かというと、意識そのものだ。
意識をどう使うのか、で痛みが変化するからだ。
笑い話に、例えば、「右手が痛ければ左手を金槌で殴れば、右手の痛みは消えるよ」というものだ。
正にその通りなのだが、誰もその事を試さないから笑い話で終わるのだ。
私は歯科医にいった時は、必ずこれを試す。
ただ、金槌で身体を殴る事が出来ないし、それでは本当に笑い話だ。
口から遠い足先や、腰といった、その時意識が向きやすい部位に緊張を作り、完全にそちらに注意を向けるのだ。
そうすると、痛みはあるが、直接的な痛みではなく、何か遠くの痛みのように感じるのだ。
痛み対意識の集中だ。
但し、歯の痛みの難しいところは、脳から近い事だ。
神経伝達で「痛い」を認識する速度が無茶苦茶早いのだ。
今回は、「相当痛いよ」と言われた瞬間に、左足指に緊張を作った。
そして下腹部の緊張。
手の指の脱力。
そういった事でどの程度しのげるかを試した。
確かに痛い。
しかし「えっ、これで終わり」となった。
意識の方向を変えた勝利だ。
明日は、そこをもう一度掃除をするそうだ。
同じように痛いという。
また勝負をしてくる。
というような日常が私の稽古である。

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