背中は鈍い
連休が終わった。
といっても、毎度のことながらこちらは何の関係もないが。
先日、棒の稽古の基本としての「棒に押される・棒で押す」を復習してみた。
よく見ていると、余程単純な「押す」や「押される」はやれているように見えるが、少し棒の動きを多様化すると、それらはインチキだと分かる。
インチキというのは、棒の操作での基本であり、最重要事項は「相手に接する部位の圧力を変えないこと」だが、そこがどうも希薄だということだ。
もちろん、直接的に身体に対しての「押す・押される」にしても、相当難しいからそこに道具が介在すると、余計に難しくなる。
それこそ道具を自分の身体の一部として、本当に扱えなければ感覚できる筈もないからだ。
そういった稽古風景を見ていて、改めて「相手の力を利用する」という事の実際の難しさを感じる。
もちろん、この言葉はどこにでもある言葉だし、それを演っている人も沢山いることになっている。
いることになっているというのは、本当に出来ているのかどうかを確かめた事が無いので、どうとも言えないからだ。
棒で押す、それに逆らわず押される。
たったこれだけの約束なのだが、感覚が鋭かったり、押す速度を変えたり、圧を弱くすると自分勝手に押されていることが見えてくる。
だから型そのものがあるから、相手の力を利用しているような気になるが、一つ取り出して厳密にすると、利用していないことが分かるのだ。
特に背中の感覚は総じて鈍いので、微妙な力では感覚しづらい。
という地味な稽古だけで、あっという間に2時間が過ぎていく。