分からん

先日、1年ぶりか、もしかしたら2年ぶりに愚息が稽古に来た。
日曜日が休みになったからだ。
愚息には余り馴染みのない棒の稽古だったが、動きを覚える早さはずば抜けていた。
「何でや?」と何時もながら感心する。
もしかしたら、そういった人の全体の動きを捉える能力に長けているのかもしれない。
それは高校の時、マーチングバンドを率いていたが、そのフォーメーションや振り付けを全部一人で考えてやっていたから、きっとそんな能力があるのだろうと「思う」。
あるいは、やっていることに対しての、集中度的なものが高いのか。
愚息といえど、その中身(実際)を知ることは出来ない。
しかし、大方の人は「分かりたい症候群」だから、色々な言葉を駆使し知ったつもりになる。
あるいは解決したつもりになる。
病名と同じで、何かしらの言葉に当てはめたりする。
しかし、実際は何一つ知ることは出来ないし、解決することもない。
この場合なら、私自身の推測としての言葉で、「こうだろう」という事は出来るが、実際愚息の中で何が起こっているのかは、何一つ分からないということだ。
ただ、「これが出来ている」あるいは「出来ていない」という状態があるから、では「こうしてみよう」という事は出来る。
実際という場は、これに尽きる。
これが私自身の事であっても、何一つ分からない。
「そうなっている」という状態があるだけだからだ。
だから次の状態に進むしか無い。
結果、また「出来ている・出来ていない」がある。
その連続だ。
言葉はあくまでも灯台に過ぎない。
灯台を目指し、そこに辿り着く。
あるいは遭難する。
その連続が人生だ。
それにしても、愚息はどうして動きを覚えるのが早いのだろう。

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