「そうか」と気付くと次は

「気付いた」と言う言葉を使う。
多分誰でも使っているだろう。
気付くというのは、自分自身の潜在的な問題意識がある場合、あるいは、明確に問題を持っている場合、また、問題そのものが不明確な場合、その解決の糸口や解決そのものと出くわした時に使う言葉だ。
つまり、「そうか!」という一瞬で、それら問題意識が走馬灯のように現れ解決するということだ。
だから、問題の深さや広さによって、つまり、その問題に関わっている時間が長ければ長い程「気付く」事に価値があるのだ。
しかし、問題は気付いた「さあ、どうする」という、その後自分自身が「そうか」を糸口にして解決していくことが大きな問題なのだ。
つまり、具体化しなければならないからだ。
いわば、気付いたことで目的や目標が明確になったのだから、次はその目的や目標に向かって歩かなければならないのだ。
極論を言えば、気付くよりも千倍も難しいのだ。
気付いた→終わり、なのではなく、気付いた→やっとはじまった、なのだ。
しかし、大方の人は「ああ、そうだったのか」で終わる。
これでは、何をしていたのか分からない。
何かしらの問題を温めていた時間は全てパーなのだ。
元の木阿弥というやつだ。
これこそが「分かりたい症候群」の典型で、脳の満足・納得に騙されている自分だということだ。

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