置き換え
「まずは一つ打ち」ドラムを演りだした頃の自習だ。
ドラムの先輩達から、色々な教則本や何を聴くのが良いのかを教わった。
しかし、ドラムに関して、ジャズに関して右も左も分からない超初心者には、その意味さえ分からなかった。
「ああしろ、こうしろ」は有り難いアドバイスなのだが、それを理解できるレベルにならなければ分かるものでも、出来るものでもない。
だから、自分で何をどうすれば良いのかを、工夫しなければならないのだ。
この体験は、何時も書いている中学の頃の体操競技の工夫から「置き換え」たものだ。
同じように、武道を自習する時もこの手法を使う。
こういった体験を持たない人はどうすれば良いのか?そこを何時も考える。
体験がないのだから、何を言っても理解できる筈もないのだが、やっかいなのは日本語だから意味は理解できる。
そこに「全体と部分」という認識の違いが生まれる。
「まずは一つ打ち」と言った時、その背景には自分の知るジャズドラマー達の手本となる演奏や、ジャズ音楽がある。そこに入る為の「一つ打ち」であって、単なるメトロノームの「一つ打ち」ではないのだ。
それと同じで、「突き」と言った時、それは突きではなく、歴史に残る達人の意識に辿り着く為のものであって、突きという「単純運動」ではない。
その突きの中には、連動も変化も距離も間も、自分の知る限りの要素が含まれている。
そういった方法を使うから、短時間で密度の濃い自習が出来るのだ。