努力?何じゃそれ!
昨日は、どのクラスも基本稽古に汗を流した。
30数年前、大阪北浜で道場を開いた時、基本稽古が増えていき、つまり、要素を発見するほどに、また、それを身につける為の方法を工夫するほどに、稽古が増えていったのだ。
それは、生徒達のやり方を見ていて、不足する身体操作の具合、考え方の稚拙さの具合からの発見である。
毎週火曜日木、金とかいうものではなく、夕方6時から夜11時迄毎日だ。
もちろん、それで足る筈もないが時間に限りがあるから仕方がない。
道場はお昼から、私が自分の稽古をやるために開けていたので、熱心な生徒で仕事の都合のつくものは昼から稽古に来た。
突きだけの日、蹴りだけの日、分解の日という具合に、日替わりメニューだった。
もちろん、基本稽古だけだ。
そうなると、生徒の数はどんどん減っていった。
中学生の頃の体操でも、バーテンダーでも、ジャズドラムの時でも、同じくらい、あるいはそれ以上の練習量を持った。
自分はどこへ行きたいのか。
それが練習量を決定する。
しかし、努力が必要なのではない。
努力など糞食らえである。
努力では道は開かない。
私は未だかつて努力などしたことがない。
他人から見れば努力かも知れないが、私自身は「やってしまっている」だけだし、「その事」に集中しているから、努力をする、あるいはしている、という客観的な意識など湧き上がってはこない。
自分の人生は、自分の時間は自分のものである。
そして、その時間は死と共に消えてしまう。
そう考えた時、自分以外のことで時間を潰すのは、余りにももったいない。
自分を遊ぶ方がいい。
美味しいケーキの話もいいだろう、生活の為だという仕事の話もいいだろう、金儲けの話もいいだろう、たまにはね。