再会して気付く

久し振りの友人に会いにいった。
私が67歳、友人が66歳。
巷では間違いなく老人二人だ。
老人二人がカフェでヒソヒソ話。
周りからはどう見えているのだろう。
少なくとも若い人たちよりも、元気な二人だ。
話が弾み過ぎて、夕方から深夜にまで及んだ。
もちろん、酒も飲まずにである。
もっぱら聞き役に回った。
ある時、知り合った若いミュージシャン達に「マイルスのあの音を感じて欲しかった」と、アットフィルモアを聞かせたそうだ。
これは、私もよくやることだ。
それを友人もやっていた。
それを聞きながら「あかん、それは無理やで」と私は反応した。
その人なりには感じることはできるが、私達のように、というのは無理な話だ。
音を感じるのも当然訓練が必要である。
「俺らは、どんな音を聴き、何を求めて、何を練習して、があって、『マイルスの音は凄いな』になっているんや」
「いやそれは分かるけど、一寸でも感じてくれたらな、と思って」
「それは分かるよ、俺もそうやから」
しかし、そこをすっ飛ばして、こちらが感じていることを要求するのは酷というものである。
と、他人のことになればよく分かる。
そういった事を私に気づかせる為の時間だったのかもしれない。
そんな話題が満載のひと時だった。
友人とは、その昔音を追求した仲である。
お互いに突っ込む性質だから、恐ろしく進化していった。
進化というのは、より音楽に近づいていったということだ。
そこの話になると、言葉は尽きない。
「あの時、何を考えていたんや」つまり、ねたバラシである。
お互いに顔を見合わせ、昔にもこんな時間を持ったことが無かったことを思い出した。
私も友人も、それぞれの問題を抱え音楽から離れた。
そこから再会は数度あるが、特に親しく情報交換をしたことはない。
だから久方ぶりなのだ。
話題は、お互いに知らない時間の話になった。
身の上話だ。
友人はプラント等の電気工事をする仕事に付き、独立して会社を起こしていた。
しかし、頑張りが祟り精神を病んだ。
病名は分からないが、確かに精神が病んでいた。
口調、トーン、目付き、どれをとっても変だ。
記憶が途切れるとのことだ。
そういった病院にも入院していたという。
もちろん、だからといって治ることはない。
どう付き合えば、発症しないのかである。
しかし、きっと発症する原因もあるだろう、単純に疲労から過労なのではないだろう。
精神科の医者の記録も見せて貰った。
それはひどいものだった。
単に医者の偏見が並べられているだけだったからだ。
まだ街の占いのおばちゃんの方が気の利いたことを言うだろう。
そこを探りだしてやろうと探究心の血が騒いだ。
気が付けば深夜12時を回っていた。

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