海外と日本の違い

先日、久し振りに教室で爆発した。
初心者同士が組んでいるにも関わらず、「つながった感じがした」だの「それでいいです」だの、まるで10年は経験があるもの同士、理解できている人同士の会話になっていたからだ。
もちろん、この光景は珍しいものではない。
どこのワークショップでもそういう人達はいる。
どうして初めて取り組んでいるのに、理解出来るのだ?自分の感覚としては「つながった」なのだろうが、こちらから言えば、それはただの幻想でしか無い。
「やっていることは全く違う、そのままでいくらやっても無駄や」というと「そうですか」とニヤついている。
こんな不毛なやりとりになってしまう。
ファブリズが「ほんとに難しいが、毎回が驚きでもある」それこそ「この事を20年前に知っていれば良かったのに」と、私のワークを受け続けている感想を言っていた。
彼らはトップダンサーだ。
つまり、子供頃からダンス一筋で来て、著名な振付家の元で踊り今日がある。
その彼らは私のワークをワクワクすると子供のように喜ぶ。
「つながった」だの「それでいいです」だのと、ふざけた事は決して言わない。
私のやっていることと、自分のやっていることは「全く違う」と見て理解出来るからだ。
私にすれば、同じ日本人同士だから、感性も同じような遺伝子を持っていると信じたい。
「そうか」同じような遺伝子を持っているから驚きがないのか。
しかし、安藤洋子さんは「驚きが好奇心の現れですよね」と私に言う。
とすれば、人種国籍など関係無いのかもしれない。
それこそ、私の「日本人なら」という偏見かもしれない。
武道のワークショップでも、ダンスのワークショップでも、日本よりも海外の方が数倍数十倍楽しい。
そこには、好奇心を持ってくれる人が沢山いるからだ。
教えてもらうだけ、習うだけ、の人が少ないのだ。
もちろん、前述したような人は必ずいる。
がしかし、私が「違う」と指摘し、見本を体感させたり「あなたの感覚は幻想でしか無い」と言うと、その言葉は相手に届く。
マルセイユでも頑固な頭の先生がいた。
「自分勝手にするな」から始まりダメ出しばかりしたので、きっと明日は来ないだろうと思っていたら、翌日も参加し私の指示に従ってくれていたのには驚いた。
基本的に素直なのだろう。
だから、その後は間違っているなりに、一生懸命取り組み「難しい」という言葉に変わる。
そうなると工夫が始まるのだ。
稽古の仕上がりは、組んだ人で決まる。
どうして、「それは違う」という側に進まないのか不思議でならない。
新しい人の稽古が進まないのは、組んでいる古い人のせいでしか無い。
古い人が取り組み方の間違いを指摘せず時間を経過すると、新しい人は「これでいいのだろう」と誰しも思う。
そう思わせているのは古い人だ。
これにも爆発した。

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