自分の考えるレベルが現象を作る

昨日の稽古は、久しぶりに「棒」の組み型をした。
棒という自分の身体ではないもの、道具を使うのは難しい。
身体でも相手に体重を作用させるのは難しいのだが、それが道具を通してということになると、余計に難しい。
かなり繊細な感受性が必要となるからだ。
それは、道具を通して相手の力の量や方向を感じ取らなければいけないからだ。
力任せに、あるいは、スピード任せに棒を振り回しても、相手に作用するとは限らないからだ。
その意味で、道具を使うのは身体操作の質を上げていく為の相当有効な訓練だ。
また、道具を使うことは、道具を使うのだから当然その事に集中する。
もちろん、道具を使いこなすという点では、それが目的だからそれで良い。
しかし、相手に作用させる、ということから見ると、道具を使いながら、道具に拘らないという、その場その場の変化、応用性が大事になる。
意識の切り替えだ。
これがなければ、道具を持つ事が逆に自分を居着かせることになるのだ。
昨日はそういった事を、組み型を用いて訓練した。
もちろん、初心者には何のことやら分からないだろうし、たとえ分かったところで何も出来ない。
それは仕方の無いことだ。
先輩たちのやっていることを、見よう見真似でするしかないし、それが一番の稽古になる。
しかし、初心者だからといって、稽古の基盤となる考え方を理解していなければならない。
単に体操や運動をしているのではないからだ。
それは、どんなことでも同じだ。
結局のところ、現象を支えているのは考え方、あるいは、思想だ。
それが無いと、単なる運動、単なる所作、単なる動きとなり、自分自身のそれらの質を上げる、あるいは成長させる事は出来ない。

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