見えないものが見える
歴史に残る武道の達人、といった時、一般的な人とは違う、というイメージをもってしまいます。
しかし、そうではありません。
同じ人間です。
ですから、一般的な職業、特に職人さんという視点で見れば、理解できると思います。
職人さんの頭にあたる人、あるいは、匠とか棟梁と呼ばれる人の中の、一番腕の良い人だと思って下さい。
と考えると、それほど特殊な人ではなく、じっくりと仕事に取り組み、腕を磨いた人だと分かるでしょう。
一般の仕事と違うのは、双方に生命がかかっているという点です。
その意味では、技の磨き方は半端ではなかったということになります。
生命がかかっているが故に、見えてきたもの、見えてくるものが一寸一般の人とは違います。
もちろん、見えないものが見えるのではありません。
自分自身の我であるとか、自意識が見えたのです。
なぜ見えたのかというと、結局のところ、それらが未熟だから技を使う時に邪魔をするのです。
ですから、それに気付いた多くの人、といっても一握りの多くの人ですが。
その人達は、参禅をしたり滝行をしたりと、武道の稽古ではないところに活路を求めました。
それでも、その自意識や我から開放される、あるいは、乗り越えるということは至難の業だったのです。
ですから、達人と呼ばれた、例えば伊藤一刀斎などは、同じ武芸者からみれば雲の上の人だったのです。
現代では、自己啓発や様々な研修があり、直接こういった「自分」に向かう事を行っています。
しかし、こういった達人を見た時、出来る筈はない、と確信します。
たかだか数日の研修で、自分がどうなるというのでしょう。
という具合に、武道から、武道の達人という視点から見れば、現代のおかしさがよく見えるのです。
そういったお話を2時間タップリ行います。
「人生を生き抜く智慧・武道の達人の真髄はコロンブスの卵である」
頭のダイエットに是非お越しください
笑いますよ!
10月26日
http://ilt.jp/extra01/entry.html