青い鳥を求めて

「極意とは、己が睫毛のごとく近くあれども見えざりけり」古くから武道の世界で言い伝えられている言葉です。
昨日の「不思議なる極意ばかりを尋ねつつ、表にあるを知らぬはかなさ」と同じです。
どうして、同じような言葉が残っているのか。
それは、何時の世も自分の外に、あるいは、知らない所に宝物があると思っているということです。
私の体験の中にもあります。
ドラムを演りだした頃、左手が思うように動きません。
それは右利きだから仕方のない事です。
しかし、ドラムという楽器では、右手と左手を分離させて使わなければならないのです。
そういう、楽器の宿命があるから、右手以上に左手が自由にならなければならないのです。
その時、お金がいくら高くても左手をコントロール出来る薬があれば買おう、と思ったものです。
それは、回りにいるドラマー達も口を揃えて言っていました。
もちろん、そんな薬がある筈もないので、それぞれがそれぞれに工夫をしたのですが。
人というのは、そういうものだということです。
その時々で、相変わらず青い鳥を探している自分がいます。
後から振り返ると、何と時間を無駄にしたことか、になります。
しかし、それは時間の無駄ではなく、それ程体験しなければ、人はその事は分からないということで、その人が気付くために必要な時間だったのです。
もちろん、それはそれぞれに違った時間です。
何年無駄にしたら気付くというものでは無いからです。
そして、それぞれの人生は画一的なものではないからです。
極意から見れば無駄なのですが、無駄からみれば、その中にその人なりの人生があります。
人は自分の側からしか物事を見ることは出来ません。
相手の立場に立って、という言葉がありますが、それとて自分の側から相手の立場にたって、と考えているだけです。
ですから、本当の意味で相手の立場ではありません。
私は傲慢極まりない言葉だと思っています。
というようなお話を、講演会でやります。
ワークショップや教室では、余り話題にしない話です。
自分の人生に役立つ事が沢山あります。
是非、足をお運び下さい。
●昨年に続き、二度目になる大阪での講演会です。
「人生を生き抜く智慧・達人の真髄はコロンブスの卵だ」
笑いますよ!
10月26日
http://ilt.jp/extra01/entry.html

Follow me!