目の前の宝の山
先日の本部の稽古で、バレー部の監督に胸骨トレーニングや、胸骨と肘の連関やストレッチを教えていた。
取り組んでいる様子を見ていると、相当難問題のようだった。
試行錯誤を繰り返していたからだ。
もちろん、一回の指導でさっと出来る人もいる。
その差に関っているのは、いわゆる身体能力と、自分の身体管理能力だ。
身体能力というのは、生まれ付きのものだから、そこをいじくることは出来ない。
しかし、管理能力の方はいじくることが出来る。
だから、大方の人にとって大事なのは、この管理能力の方だ。
それは、今自分の身体はどんな形をしているのか、どんな運動線を辿ったのか、というような事を知ることだ。
そして、それを知った上で、目指す形、目指す運動線になるようにすることだ。
そういった事に取り組むことを稽古をする、というのだ。
運動選手や何らかの身体運動に関っている人で、身体能力の高い人は恵まれている。
しかし、一つ落とし穴がある。
形が出来るばかりに、その形の持つ要素を掴み切れないことが起こることだ。
形は要素の集積であって、それこそ張子の虎ではない。
運動線も同じだ。
運動線というものがあるのではなく、身体があり形が有り、形を使う目的がある。
だからその線でなければいけない、という必然があるのだ。
稽古は出来ない人を見ていると、何故出来ないのかが良く分かる。
それが稽古になるのだ。
皆はそれを見ているのだろうか?
ただ短に「出来ない」という現象を見ているだけではないだろうか。
それでは、宝の山が目の前にあっても、見えていないということだ。
どう考えているから、そうなっているのか?
そんなことを身体の動きから探り出す。
それが一番大切な稽古だ。
4月28.29.30.5月1日京都でワークショップがあります。
詳しくは
https://www.hino-budo.com/2014KyotoWS.htm