快感!自分壊し
胸骨操作は何時生まれたのか。
そんなことを思い出していた。
しかし色々な事が複合的に重なっており、何時?というのを思い出せない。
色々な気付きやヒントがあり、結果現在の胸骨操作になったとしか分からない。
もちろん、今も進化過程にある。
それは、身体や人そのものの発見があるからだ。
しかし、そもそもは胸骨操作ではなかった。
逆に肩甲骨を前に出すこと、それは腕の稼動領域を広げることから始まったからだ。
それに対する視点が逆転し、胸骨になった。
つまり、当初は腕ということしか頭に無かったが、上半身、身体全体と統一的に考えるようになり、一挙に胸骨操作の重要性に気付いていったのだ。
思えば35.6年前の生徒達は大変だった。
日々進化する中味に、ついて来れなくなっていた。
今日は「こうだ」、と言っていたのが、一夜明けると「違う、こうだ」、になるのだから。
熱心な生徒は、仕事を変え毎日道場に来るようになっていた。
そういった生徒達のおかげで、色々な実験が出来た。
現在の考え方の基本が作り上げられた時期だ。
道場で稽古をし、それを帰宅後検証。
また考える。
身体を動かす。
もしかしたら、この時期の睡眠時間は、数時間だったのかもしれない。
それくらい怒涛の毎日だった。
その進化の幅が徐々に長くなり、現在になっている。
自分の考えたことをぶち壊すのは快感だ。
自分を否定するのは楽しい。
大方の人は、自分を否定するのを恐れる。
そんな風潮や教育なのだろう。
自分を否定する。
それは、新しい発見があったという証だ。
また、自分自身のレベルが、そこに見えるからだ。
だからこそ、時と共に前に進めているのだ。
「不安定が一番」という鉄則どおりに動いているのも、自覚できるからだ。
多分、死ぬまでそうするのだろう。