トンネルに突っ込む
大阪寒い!東京が少し暖かくなっていたので、余計に寒さを感じた。
型としての分解組手。
身体運動、身体操作としての分解組手、関係性としての分解組手。
武術としての分解組手。
それぞれが異なる。
要素を稽古して行く為には、こういった分け方も大事だ。
それらを認識しながら稽古をするので、あっという間に時間は無くなる。
単純に「分解組手」と括る訳にはいかない。
その意味で、いわゆるスポーツトレーニングを考えると、その分別がまだまだ粗い。
もちろん、大雑把な分別で充分な分野も有れば、もっと繊細な分別が必要な分野もある。
と考えると、時間はいくらあっても足りない。
そんなことを学びながら、稽古を進めるのが私の教室だ。
つまり、非常にマニアックだということだ。
となると、「一寸好奇心が湧いたので」と首を突っ込んでも、得ることは少ない。
ワークショップや教室に来る空手の先生で、先生を辞めた人が数人いる。
競技ではなく、じっくりとそういったことに取り組みたい、と感じたからだ。
「自分は何をやっていたのか?」そんな問題意識が芽生えたのだ。
それが良いのか悪いのかは別として、自分自身に対して問題意識が持ち上がった、というのは良いことだ。
但しその事が、長いトンネルに入ることは、覚悟しなければならない。
本部に来る30歳代の空手の顧問の先生は「55歳くらいになったら、何とかものになるかな、と思っていたけど65歳に伸びました」と笑っていた。
それは、型を何万回かやれば、何かが分かるのではと思い、それに挑戦し続けていた。
しかし、ある時「さっきやったのと違う、つまり、例えば腕の位置がさっきと同じではない、ということに気付いた時、今までの練習は何だったのか」と気付いたからだという。
この顧問は、自分の身体感覚が鋭くなってきたから、腕の位置の違いに気付いた、つまり、成長しているのだが、その成長が身体運動の不正確さを見つけ、愕然としたのだ。
というトンネルだ。
だから面白いのだ。
ただ、この喜びや面白さは、万人が共有するものでも、出来るものでもない。
だからこそ、挑戦しがいがあるのだ。
もちろん、自分自身への挑戦だ。