氷山の一角

かなり前、私の動画を見た人に、これは出来るけど、これは出来ない的な事を言われたことがある。
私は「ああ、そうですか」と答えたが、意味が分からなかった。
「これは出来る」というのは、動画にある現象だろうが、それが出来ても仕方が無いのだが、と思うからだ。
つまり、それは、単に氷山の一角だからだ。
氷山の一角を取り出して、「出来た」と言われても、こちらとしては意味が分からないのだ。
「よかったですね」としか言いようが無い。
それは、自動車教習所で「坂道発進が出来ました」というのと同じだからだ。
坂道発進が出来ても、公道で自動車を運転することは出来ない。
ましてやF1のレーサーになれるわけではない。
つまり、どうにもこうにも、使い物にならないということだ。
しかし、もちろん坂道発進も出来なければ、公道で運転は難しい。
その時、人は一部を見て全体だと思うのだな、と思ったものだ。
一部が全体だと捉えているということだ。
もちろん、一部に全体は現れている。
しかし、その目で一部を見たとしたら、「これは出来るけど、これは出来ない」等とトンチンカンな話にはならない。
坂道発進を見て、仮免は別としてまだ公道は無理だなとか、うまいことコントロールしているね、それなら他の運転技術も出来るだろう、というような事になる。
それこそ、足が真っ直ぐに上に上げられても、それだけではバレエダンサーになれない。
真っ直ぐ上に足を上げる事が出来る、というのは必要な要素の一つではあるが。
稽古は、全体を見据えて一部の稽古をする。
というよりも、一部しか稽古をすることが出来ない。
だから、その一部に沢山の要素を盛り込むのだ。
その事で一部に対する視点が多くなるから、かなり立体的な視点を身につける事になるのだ。

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