失敗そのものよりも原因を

アメリカのプロバスケットチームのドキュメンタリーを、wowowでやっていた。
実践さながらでありながら、テーマを決めての練習は面白い。
ヘッドコーチが的確に指示を出し、それが出来なかった場合、その原因を告げる。
但し、「軸がぶれていたから」というような、くだらない指示ではない。
関係性において、どうだったから失敗したという。
選手は、プロだからそれを素直に聞き、コーチの指示を表現していく。
つまり、失敗そのものではなく、その失敗は起こるべくして起こった、ということを、見抜いてそこを注意するのだ。
だからコーチなのだ。
自分の論を選手に押し付けるのがコーチなのではない。
選手の特性を見抜き、それに適した指示を出す。
その事で、その選手のパフォーマンスは向上する。
別段、何の不思議も無い、極々当たり前の事を、当たり前にやっているだけだ。
私の教室では、稽古が始まり、しばらくするとどんどん変化する。
それは、指示したものが出来なければ、それが出来るようになるにはどれが良いのか、を随時考えているからだ。
それが時として、思わぬ発見に繋がることがある。
教室に来て間もない人には、どうして目まぐるしく稽古をすることが変わるのかは、理解出来ない。
それは、どうすれば出来るようになるのか、ということを常に考えているからだ。
もちろん、一つの動きを徹底的に稽古する時もある。
要素は限りなく深いから、様々な角度から攻めていかなければ全容も分からないし、意味も分からないからだ。
もちろん、要素は限りなく深いというのは、自分が深くなるのかどうかが決めるのであって、深い何かがあるのではない。
だから稽古なのだが。

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