狭間
本番と練習の狭間。
これは本番という形式を持つ全てに当てはまる。
リハーサルと舞台、練習と競技。
ここの狭間は、ある人にとっては「そんなものは無い」であり、ある人にとっては「練習では上手くいくが本番で力を出し切れない」という。
それくらい、有って無いような代物だ。
この狭間にあるのは「不安」という得体のしれないものだ。
不安だから、文字通りでその中身は人によって全く違う。
したがって、こうすれば良い、というHow toはない。
それは、自分で作り出すものだからだ。
もう少し拡大して考えると、普段とあらたまって、という場合も同じく狭間がある。
そこで出てくる言葉が、「普段通り」であったり「平常心」という類のものだ。
問題は、誰がその言葉を話しているのか、によって、その言葉が神通力を持つ事もある。
しかし、一般的にはお題目のようなもので、何も言っていないに等しい。
私は天の邪鬼だから、「普段通り」と聞けば、それが出来るくらいならやっている、しょうもないことを言うな、と言うだろう。
器械体操では、大会の数が決まっているから、それほど場数は踏んでいない。
しかし、ジャズを職業とした途端、本番の場数は増えた。
その時を振り返ると、「普段通り」等と思った事は一度も無いし、本番の緊張感がたまらなく好きだったのだと思う。
何カ月も前から、その本番に向けて準備をし、色々な意味で最高の状態に持って行く。
その過程も楽しかった。
そこから考えると、不安と言うのは、その準備の仕方に問題があるのではないかと想像する。
つまり、練習で本番以上のプレッシャーを、自分にどれだけかける事が出来るか、それが足りていないから、不安になるのだ。
大方はプレッシャーではなく、練習量だと思っているのではないか。
もちろん、練習量は必要だが、質の良い練習にする為にプレッシャーが必要なのだ。
本番よりも、練習の方が厳しいから、本番ではそれらから解放され、違う緊張感を持て、実力以上が発揮されたりするものだ。
もちろん、厳しいというのは、量や言葉の厳しいではない。
技術としてのがんじがらめ的厳しさだ。
要は、メリハリのある練習をしているのかどうかなのだ。
量の練習と質の練習、本番さながらの練習。
それらが、バランス良く配置されている必要があるのだ。
もちろん、本番も練習も変わりは無い、という心理状態の人は論外だ。
本番と言う別次元の緊張感を味わえるからこその、様々な工夫なのだから。