思いもかけぬことが
連鎖的に突っ込みを入れる、というのが私の得意技だ。
得意技といっても、文字通りの技のことではない。
考える方法だ。
昨日の稽古では、空手部の先生とそんな話で盛り上がった。
その高校の空手部は、その先生が創設して9年目。
9年目にして、やっと団体優勝したそうだ。
指導方法を、私の道場での稽古をヒントに、試行錯誤。
結果、一つの方法を見つけたのだ。
それが功を奏して秋の県大会での優勝に繋がった。
連鎖的に突っ込みを入れるというのは、例えば、「突き」を稽古していたとする。
「突き」って何やろ?
「突きとパンチはどう違うのか?」という具合に連鎖して、その一つ一つを突っ込んでいくやり方だ。
「突き」とはこれだ。
ではなく、突きって何?がその入り口になる。
色々と突っ込んでいくと、運動的な側面と精神的心理的側面とがあることに気付く。
もちろん、これは当たり前のことだ。
「突き」というものが存在するのではなく、そういった形式を使用する必然が、「突き」を実体化させるからだ。
だから、自分にとって何の必然性も無い人間が、興味本位に突きを知りたいとしても、内面や必然が無いのだから、単なる運動でしかないし、それ以上のものに成長することは無い。
興味本位というのは、やっかいな代物なのだ。
そんな話で盛り上がるのは、本部の稽古だけだ。
スペイン人は、重要なことは必ず稽古終了後メモを取る。
空手の先生も帰宅したら、必ず覚書を書くそうだ。
数年前の覚書を読み返すと、自分の浅い点が見えるという。
正しく、自己成長の為の方法だ。
しかし、目的は自己成長ではなく、武道の探求だ。
その主従逆転が、人生全てにおいて重要なのだ。