身体は一つ

武道には「技」や「型」という現象がある。
例えば、裏打ち、例えば三戦。
それらは多種多様にある。
そのそれぞれを一つの技と取るのか、要素の練習の為の形と取るのか、それは色々だ。
私の場合は、要素を練習するための形と解釈する。
その意味では、私は固有の技は持たない。
肘から動かす為の練習、肩から肘に連動させる為の練習、という具合に考える。
それの目的は、どんな状況でも自由に対処の出来る身体であり、自分自身を作り上げる為だ。
その技が出来ることを目的としていないのだ。
だから、腕の場合肘から動かすとか、肩から肘、そして手にかけて連動させる等と練習する。
その事で、目的に応じて変えられる技術を手に入れられる事になる。
私にとれば、整合性のある練習なのだが、そういった練習方法に馴染みの無い人には難しいようだ。
練習が難しいのではなく、そう考える事が難しいのだ。
しかし、多種多様にある身体運動でも、腕や足の運動に過ぎない。
ただ、それらの動かし方一つで、所属するジャンルが変わるだけだ。
ジャンルが変われば、そしてレベルが変われば、身体の精密度にも差が出る。
武道での力とは?という問題を持ち続け、その答えを求めて探求した時、こういったものの考え方に至ったのだ。
それの副産物が、様々なスポーツへの応用だ。トライアスロンから、カヌーのスラローム、バレーボールやラグビー、テニスや陸上、果ては競輪選手。
そして、ダンスやお茶や能等、さらに医療関係等にサポートした。
限りなく異分野への転用。
今、また新しい分野へのサポートが始まっている。

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