酒井はなさん、格が違う
「ローザンヌ・ガラ2013」を観た。
酒井はなさんからお誘いを受けたからだ。
そんな機会でもなければ、バレエを観に行く事は無い。
シルビー・ギエムの公演で、何度かバレエを観たが、バレエはバレエファンでしか良さは分からないのだろうと思っていた。
今回、酒井さんは「ラフマニノフ・ピアノコンチェルト3番」と題した作品を踊った。
以前も書いたが、酒井さんとは、数年前フォーサイスカンパニーで初めて会った。
カンパニーでのワークショップが始まる前、外で安藤洋子さんやシリル達と談笑していると、二人並んでこちらに歩いて来る姿があった。
誰だろう、カンパニーの新しいメンバーなのかな?と思った。
島地君とはなさんだった。
私が老眼で視力は弱いので、見えなかったのは当たり前の事だから、特筆するようなことではない。
しかし、そういう意味ではなく「あの人は誰?」というくらい、目が釘付けになったのだ。
島地君から紹介を受け、それがはなさんだと知った。
カンパニーでのワークを、見学していたので「一緒にどうぞ」と誘った。
本当の意味でのコンタクトの稽古に、興味を持ちワークを楽しんでくれていた。
その姿を見ていて、フォーサイスカンパニーのどのダンサーよりも、際立った存在感、凛とした美しさに同じ日本人として嬉しく思った。
そして昨年(2012)京都で再会した。
安藤洋子さんの作品に島地君が出演した。
忙しい舞台の合間を縫って、はなさんがそのリハーサルを見学に来ていた。
リハの間に話をする機会があった。
私の人生の道程で、まずクラシックバレエのプリマと呼ばれる方と出会う事はまず無い。
だから、この時を逃す手は無いと、色々な話を聞くことにした。
舞台での在り様、観客への向かい方、はなさんにとってバレエとは、ほんとに色々と伺った。
内容よりも、話をするはなさんは、声も姿も全部バレエダンサーだった。
実際の舞台を見てみたい。
その時思った。
白鳥を全幕踊るから、とお誘いを受けた時は、残念ながらこちらはワークショップ中だったのでいけなかった。
その経緯があり、今回は何としても観に行きたいと思ったのだ。
観に来れて良かった。
終演後、私は教室があったので、口も聞けず帰ったが、本当にはなさんにありがとうだ。
幕が開き、中央がピックアップされた演出で「動き」が始まった。
「何じゃこれ?ただの当てブリ?」
音楽のアクセントに合わせただけの、どうでもいいような単調な振付。
オープニングでこんなん有りか?とガックリ。
しかし、次の瞬間照明が全開し、総勢30名以上が幕が上がると並んでいるのは圧巻だった。
「しかし、はなさんは?」
最初は、舞台に並ぶ人数に気を取られて分からなかった。
全員同じ衣装、そしてバレエダンサーだから、似たような体型。
しかしはなさんは違った。
俗に言う、存在感が有るのだ。
作品の流れの中で、はなさんのソロも随所にあった。
バレエという形式、振付という制約。
それをどう料理して「ダンス」として成立させるのか。
見事にはなさんはダンスだった。
形式や制約をいくら間違わずに、そして正確にやれても、それは形式であり制約以外の何物でもない。
つまり、ダンスでは無いということであり、何一つ表現されていないといことだ。
いや、形式と制約を表現していただけなのである。
ダンスだったというのは、そこには人間の生の感情が身体から、動きから溢れていたということだ。
そして、それはバレエに舞台に、そして観客に捧げられていたのだ。
思わず惹き付けられてしまう。
こちらが必死で見なければ、あるいは、何をしているのかを考えなければならないのではなく、見惚れてしまうのだ。
もちろん、だからそれは形式としてバレエであり、作品としての、振付としての制約を完全に超えており、酒井はながそこに生き生きと現れていたということだ。
バレエという形式には、様々な技術がある。
技術が見えている限り、それはダンスでは無い。
その技術の難度は、私には分からないが、はなさんの動きは、全て自分の言葉、自分が編み出した、紡ぎ出した言葉のように見えてしまうのだ。
だから、難度の高さは何も見えないのだ。
とにかく、酒井はなという素晴らしいダンサーと出会えた事は、私の抱える色々な問題を解決するヒントに、あるいは、私の出している答えが間違っていなかった事を教えてくれた。酒井はなさんに感謝だ。
■東京ワークショップ
9月13,14,15,16,17日
16.17日は、表現者の為の特別教室です。
場所も、何時もの新木場マルチスタジオです。
https://www.hino-budo.com/index.html
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