フランス人は素晴らしかった

■東京ワークショップ
9月13,14,15,16,17日

16.17日は、表現者の為の特別教室です。
場所も、何時もの新木場マルチスタジオです。
https://www.hino-budo.com/index.html
お知らせにあります

4泊5日の合宿は終わった。
昼寝の時間を入れたのは正解だった。
しかし、フランス人はタフだ。腰は軽いしよく気が付く。
誰よりも、場を見ていたのではないか、という感想だ。
言葉も分からない中、ほんとに感心した。
武道の稽古ならいざしらず、日常の様々な作業に、自分から進んで動いている姿には、大げさだが感動を覚えた。
愚息が、自衛隊に入りたまに帰宅した時、一寸した言いつけに対し敏感に反応し、テキパキとこなしていた姿と重なった。
8月の初旬、フランス人たち12人が道場に来ていたが、その時感心したのと同じだ。
言葉としては、自分から進んで作業をする、ということになるのだが、もっと違う何かがあるのだろう。
そのもっと違う何かは、今の日本人に欠けたものだ。
宴会で、お疲れ様の乾杯をするが、フランス人の一人は大量の食事を用意した、妻にも乾杯を捧げてくれていた。
これは、過去の合宿10数年になるが、初めての事だ。
そういった気遣いが出来る、という人達は、何をやらしても自分なりに工夫をする。
稽古でも、手本を示すと、自分が獲得しようとしている姿になる。
それは、これも言葉になるが、今自分はどこにいて、何をしているのか、をよく分かっているということだ。
それを分からないとはどういうことか?全く理解出来ない。
つまり、場を常に観察しているから、出来ることだ。
だから、言葉が不自由だから、話が途切れ間が出来るのだが、その間に不快感は無い。
その間には、その人達が言葉を探していたり、何を聞こうかと考えているからだ。
石のお地蔵さんのような、沈黙ではないからだ。
宴会では、人や場をどうすれば楽しませる事が出来るか、場の盛り上げ方を熟知しているフランス人。
フランス人の一人は手品、一人は場を楽しませようと全力投球で、フランスの歌を歌ってくれた。
身振り手振りを入れ、全員が一つになれる楽しさを演出していた。
妻と同年齢の女性は、宴会をリードしようと頑張ってくれたが、一向にそれに気付かない日本人。
折角日本に来てくれた彼らに、色々な意味で日本人は素晴らしい、をプレゼント出来なかった。
大手建設会社に勤務する人は、現場がどんどんバラバラになっていき、指示書に書かれてあることしか出来ない人が増えすぎていると嘆いていた。
自分で仕事を見つける事など出来ないのだ。
また、消防隊の隊長も同じようなことを言い、トレーニングすら住民の苦情でやれないという。
そのクレームの極端なのが、現場が近いから消防署から出る時、サイレンを鳴らしたら、それが駄目だという。
何もかもがおかしい。
それに気付かない。
■1年ぶりの岡山のワークショップです
9月21.22.23日です
西日本の方はどうぞ!

http://workshop.digiweb.jp/

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