声が似合わない
■東京ワークショップ
9月13,14,15,16,17日
16.17日は、表現者の為の特別教室です。
場所も、何時もの新木場マルチスタジオです。
https://www.hino-budo.com/index.html
お知らせにあります
演劇で何時も気になるのは、声とセリフと人物だ。
声とセリフが合っていない、声とセリフがその役が合っていない。
つまり、役そのものにはなっていないことだ。
声は出しているだけ、セリフはその都度その都度、何かしらの思い込みで喋っているだけ。
だから、当然その役とは合っていない。
その都度その都度の芝居というのは、その役の人物を掘り下げていないということだ。
だから、その場面に一貫性を感じられない、バラバラなものだ。
もっと突っ込んで言うと、役者が舞台に上がっているのではなく、役者をやっているその人がそこにおり、わざとらしい芝居をしているのが見えるだけだ。
大分前、ある大手の劇団に頼まれてワークショップを開いた。
後日、その劇団の先輩達の舞台リハを見せてもらった。
一言お願い、と言われたので、
「その辺の道を歩いているようにしか見えへんで、それって役じゃないし、芝居じゃない。お前自身や。状況と全くあってない」
といった事がある。
どうも、ピンとこないのだ。
大分前に、蜷川幸雄さん演出のリハーサルをテレビで見たことを書いた。
海外の役者との共演だった。
海外の役者の演技が素晴らしい、ということではなく、演技以前にその姿が、日本の有名な舞台俳優よりも存在感があったのだ。
それを見ていて、つくづく日本人の日常生活のカラオケ化が、この舞台の結果だと感じた。
お手軽、お気楽な日常だということだ。
海外の人の日常は、日本人よりも緊張感を持っている、その差が存在感の差になる。
つまり、その人は、日常で話そうとして話していないのだ。
どうしてもこの人に話したい、という欲求が無いのに話しているということだ。
極論で言えば、嘘くさい日常であり、人生だということだ。
ということは、他人に対して伝えたいという欲求の無い人が、舞台で何を演じても、それは単にセリフを喋っているだけ、演出家に言わされているだけの域から出る事は無い。
「こんにちは!」と本気で挨拶してみよう。
「ありがとうございます」と本気で感謝を言ってみよう。
まずはそこからだ。
つまり、それは役者に限ったことではなく、一般として言えることなのだ。
■1年ぶりの岡山のワークショップです
9月21.22.23日です
http://workshop.digiweb.jp/