流れに身を委ねる

「流れに乗る」とワークショップでも、教室でも使う。
正確には、流れに身を任せた状態になることだ。
それは音楽と溶け合う、というのに似ている。
その状態になった時、双方に無条件の笑みがこぼれる。
音楽を聴くのではなく、体感するのでもなく、溶け合うのだ。
相手も自分も無い状態だ。
但し、精神世界的な意味合いではない。
つまり、聴くにしろ、体感するにしろ、そこには「私が」という主語が付く。
もちろん、これは文法的な意味合いではない。
文字通り、「私がそれを行う」ということだ。
何時からこの「流れに乗る」という状態が出来るようになったのかは分からないが、とにかく流れに乗るなのだ。
クラシック音楽でも最高の演奏を聞いていると、そこに溶け込んでしまう。
その時は、意識状態ではなく、それを通り越し視床下部や海馬で響いている感じだ。
もちろん、それは感じだ。
しかし、中途半端な情緒的な感動ではなく、もっと深い感動があるからだ。
流れに乗るは、武道の稽古から発見したものだ。
武道では「相手に合わす」という言葉があるが、それを繰り返しやる内に「相手に」という言葉が無くなってきたのかもしれない。
スピードやリズムではない。
だから、メロディだという言い方をする時もある。
稽古では、その意味でよく声を出させる。
本来人は、そのように相手と関係し会える筈だ。
しかし、我々は先ほどの文法的という言葉が表すように、言葉に秩序をもたせ、それを共通認識することで、言葉での理解が出来るように発達させた。
その結果、「私、あなた」と分離してしまった。
もちろん、言葉は言葉としては非常に明確だから分かりやすい。
しかし、そのことと人の生理的な機能は別物だ。
というようなことを、質の高い音楽に浸っている時に思う。
そんなアンサンブルが舞台で出来たら、これほど楽しいことは無い。
そこを目指しているのが、RealContactだ。

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