手で聞けよ

しかし、触り方という方法は無い。
定型化され、こうしたら良い、というものは無い。
私は良く、「その手で聞け」という言い方をする。
手で聞き、目で触れ、耳で感じろ、という言い方だ。
目で聞け、という言い方もする。
「それはどうしたら良いのですか」ではない。
それを自分の力で獲得しなければいけないのだ。
何故なら、それこそが関係そのものだからだ。
「あなたが誰かに触れる時、一瞬の躊躇が相手に違和感をもたらすのです」
つまり、一瞬の躊躇とは、意識が働いた瞬間ということだ。
武道では、その瞬間を見逃さない訓練を最重要事項として学んで行く。
これは、「話す」ということでも同じだし、「聞く」という時も同じだ。
この一瞬の躊躇、あるいは、事前の意気込みが関係をまずくするのだ。
その意味で「考えるな」という。
もう一つ突っ込んで言えば、その一瞬の躊躇は、自分に対して意識は向いているが、つまり、自分のことには注意を払っているが、肝心の相手には一切注意を払っていないということになるのだ。
もう少し拡大して行くと、「自分は相手からどう見られるだろうか」「嫌われていないだろうか」等の自意識過剰状態も、全く周りを無視して自分に意識が向いていることだ。
当然、周りを無視しているのだから、自分に対しての周りの反応など分かるはずも無い。
これは矛盾だ。
自分はどう思われているのか、に興味があるにも拘らず、その周りの反応を無視しているのだから。
周りの反応を無視して、自分が勝手に「ああだ・こうだ」と思っているだけなのだから。
もちろん、それを子供と呼ぶのだが。
このように、一瞬の躊躇というのは、実はいくらでも掘り下げていけるし、そのことで多くのことを考えられるのだ。

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