時の流れは何を求めているか?
連日、パリオリンピックが放映されている。
毎回思う事が、若い人が「強くなっている」事だ。
東京オリンピックの時より、その前より、という具合に、確かに強くなっている。
そういう時代の流れに嬉しくなる。
時代は間違いなく、現在の世界の在り様や方向性に違和感を持っている事を感じる。
その結果が、こういった自分の進む道で、ちゃんとした競争の中に身を置き自分を試していく強さだ。
柔道81kg級で五輪2連覇は五輪史上初だという。
「凄い!」という陳腐な言葉しか持っていないのが悔しい。
女子体操では、なんだかチグハグな問題が起きたが、それこそが新旧時代の入れ替わりを示唆していると感じた。
男子体操は、何時もと違い「感情」が溢れすぎるくらい溢れていた。
「どうしたんや?」と思えるくらいのエネルギーだった。
「エネルギーを出せるやんけ‼」
その感情が、今回の団体を鼓舞し、橋本のミスをも帳消しにしてしまったのだ。
「感情」に役割があるとすれば、これだ。
人と人を繋ぐのだ。
その意味で「コミュニケーション」云々が良くあるが、感情こそがそのツールなのだ。
いつも、こういった大きな競技会では、各国の選手が出す感情の高まりを目の当たりにする。
そして、今回の男子体操は、表彰台の上で「君が代」を声を張り上げて歌っていた。
この事でネットでは「体操男子たち声デッカいなあ。国歌ちゃんと歌う選手っていいよね」「君が代をみんなで堂々と歌ってる姿も素敵だった」「国歌大きな声で歌いながら号泣できる体操ニッポンの選手たちカッコよすぎる」「大きな声で朗々と歌い上げる体操男子、素晴らしすぎる」「日本の選手が声を大きくして国歌を歌っているのも最高」「表彰式で国歌を皆で歌うなんて初めて見たような気がする…最高すぎるわ体操日本」他があったそうだ。
時代の流れ、というのは、こういったところから見えるのだ。
大阪ワークショップは初秋の9月21.22.23日