自分を知る、見るというのは
『「そうか」と写真を見て気付いたのは、自分は人には本当に関心が無く、全く無視していたことです。「自分が決めたことを、自分がうまくやる」ということにしか意識が向かず、とても人に失礼な態度をとっていたと思います。』
自分自身を見る、知るということだし、それが「セルフ・セラピー」の入り口でもある。
そこから、その「人に失礼な態度をとっていた」というその自分をどうするのか?になる。
その自分自身を「嫌だ」とは思うが、その程度ならどうにもならない。
単純に「気付いただけ」で終わる。
どうするのか?は、方法を探す事ではない。
「嫌だ」を「絶対に嫌だ」というレベルに、自分を見詰める、追い込む必要があるのだ。
そうすると、そこに沸き起こる感情が、自分自身を後押しするのだ。
つまり、自分に対して沸き起こる、湧き上がる感情になるまでに、方法を探してはいけないのだ。
そうすると、まだ自分自身そのもの迄、自分の問題は達していないので、方法があったとしても、1年もすれば相変わらずの自分を見る事になるのだ。
もちろん、この1年もすれば、というのは長い方で、数ヶ月、数週間の自分を見れば相変わらずだと分かるのだ。
そうするとどうなるか?
それも単純に、「私は何をやっても出来ない」という自己嫌悪になる、それが山手線状態でグルグル回っているだけの人生になるのだ。
武禅一の行 5月1.2.3日残り3席です!
武禅一の行・受講者の感想