ブチ切れるというのは
「ブチ切れる」は、どんなことだろう?と改めて考えてみた。
大阪の稽古で、そんな状態が起こりかけたからだ。
もちろん、最高沸点手前で止め、冷ましたことでそれは起こらなかった。
起こらなかったのは、「こいつに感情を向ける必要がない」と冷めたからだ。
それは、思考停止の目をしていたからだ。
つまり、その相手は、こちらの感情が動いている事を感じられていない、という一点、そして、思考が狭い、つまり、自分の狭い範疇でしか物事を捉えられない目をしていたからだ。
と、私は相手と対しているのに、相手は全くこちらに対応していない状態だったからだ。
だから、そこにある「ブチ切れる」の真意は、「もっと現実を見て、その状況で何とかしろよ」なのだが、それが出来るレベルに育っていないということだ。
つまり、この場合は私の一人相撲だ。
私は時々、相手を無視している対応にブチ切れる。
しかし、よくよく思い出すと最高沸点に瞬時になる時と、ならない時がある事に気付いた。
今回は最高沸点には届かなかったのだ。
ということは、きっとその直前に無意識的に「無理」という判断をしていたのかもしれない。
そうではなく、最高沸点に行ったとき、その相手は変化することが多いのだ。
マニュアル対応を、マニュアル声で対応された時、こちらも反応し瞬間湯沸かし器になる。
後日、その窓口でその人と出会う事もある。
その人は完全に、脱マニュアルで自分自身が対応してくれるようになっていて、思わず「よっしゃ」と、お互いに笑顔を交わしたことが度々あった。
そんな人間ではない、という無意識的な判断が、そうさせたのだろうと思う。
私が正しくて、その相手が間違いなのではない。
その相手は「そんな人」、つまり、一般社会生活の常識の範疇に無い人だったのだと気付いたので、あほらしくなって冷めたのだろう。