人は裸の王様だから

「裸の王様」言わずと知れた、自分のことは他人の方がよく知っている、という意味だ。
と私は解釈する。

これは、殆どの人に当てはまる。
もちろん、私自身も含めてだ。
もっと考えれば、他人が自分の何を見ているのか管理できない、ということでもあり、他人の頭の中は覗けないということにもなる。
社会とは、そんな世界のことだ。

そこから道は二つに分かれる。
一つは、他人がどう見るのかを、ある程度管理出来るようにする。
一つは、社会との繋がり、人との繋がりを一切気にしない生き方をする。
という二つだ。

当然、最初の一つは「表現」に関わってくる。
後のは、社会的には成立しない。
それは、どんな些細なことも社会との関わりで成立しているからだ。
無人島で自給自足するしかない。

上司と部下、医療従事者と患者、店と客、色々な立場があり、この「裸の王様」は相互にある。
だから、誤解も生まれるのだ。
その誤解は間違いではないし、誤解されるのも間違いではない。
ただ、それらの立場がある中で発生する誤解は、仕事や場を円滑にはさせないという欠点が生まれる。
誤解が解けないままで、何かを訂正しても、それはパッチワークのように継ぎ接ぎになり、整合性の取れた全体にはならない。

「裸の王様」は厄介な代物なのだが、終生それが消えることはない。
だから、「裸の王様である」という自覚が必要なのだ。
そうすると、最初から「誤解はある」として、相手の反応から対処を考える事ができるのだ。

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