やれば出来ることを見つけるには
「やれば出来る」は、「思っていても出来ない」ということだ。
この「思っている」という停止状態を持つのは何故か?
自分にとってなんら重要だとは感じていないから、あるいは、自分にとって切羽詰まっていなからだ。
だから、本来的には思う必要もなければ、やる必要もないことなのだ。
例えば武道の稽古で、自主的に練習をやらない人に「どうして練習をしないのか?」と質問すると、「時間が無くて」とか様々な理由を答える。
どうして、練習の時間を作れないのだから、練習する気がない、つまり、そもそもが、その人にとってそれほど重要だとは、あるいは好きでもないことをやる事はないのにやるのかが問題なのだ。
きっとそれは他力本願的な考え方があり、「やっていれば何とかなる」と思っているからだ。
「やれば出来る」の「やる」は、自分自身の知識でもなければ判断でもない。
「閃き」や「切迫感」だ。
その時が来るのか来ないのか、出会うのか見つかるのか知らないが、その時が来るまで待つ。
あるいは、色々と探す事だ。
そうすると、ひょんな事で見つかるものだ。
昨日の漁師さんのように、たまたまTVで見たフジコ・ヘミングさんのピアノに魅せられたのだ。
クラシック音楽も、ピアノにも全く興味を持っていないことに「やる」という、何かが発動したような事だ。
そこから考えると、大方の人が見つけられないのは、その前提に自分自身の判断が入っているからだ。
何かしら現在の頭と繋がらして、あるいは繋がっている事、という発想があるから、何も見つける事が出来ないのだ。
つまり、自分自身の頭から始まった発想、自分の範疇でという発想がある限り、自分の可能性を見つけることが出来ない、とも言えるということだ。
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