自分を活かすという事
私に何が出来るのか?
そんな事を考えとして上がって来るようになったのは、「見習い」という形態のおかげだと思う。
どんな仕事でも、今のように「これと、これをやるように」という指示の元に始まらない。
だから「見習い」なのだ。
先輩達の仕事を観察する事で、今、それぞれの現場では何を要求されているのか、自分は何が出来るのか、そんな事を言葉がないから考えられるようになったのだろうと思う。
何かを指示されても、これらの事が既に頭に入っていれば、指示されている事の周辺や、その流れを理解する事が出来る。
だから、仕事が早い。
もちろん、演奏でも同じだ。
「その曲」を演奏するのだが、そこにある状況や、前後の曲の流れ等々が、自然と理解できて「その曲」になる。
もちろん、その曲自体も、そういった状況を持ち誕生してきている。
それらが、「生きている」を証明するものだ。
しかし、指示された事だけが自分のやる事だ、としか分からなければ、その指示された事を生かす事は出来ない。
例えば、掃除一つにしても同じだ。
どこからどう掃除するのが、全体にとって合理的かを考えられるから掃除だ。
単に掃除機を動かすのが掃除なのではない。
というよりも、全てをそう考える事が出来る事が、自分を活かすという事だ。
自分が考え、自分が行動している。
それ以外に自分を活かすなどはない。
日野晃’古希’ドラムソロコンサート
4月12日 大阪大丸心斎橋劇場
6月1日 新宿ルミネゼロ