取り組み方が違う

改めてドラムの訓練を始めている。

改めてドラム奏法を組み立てていると、技術だという事を再認識出来る。
練習する為のヒント探しから始まる。
もちろん、その前に「どうしたい」がなければ、ヒントもへったくれもない。

ヒントを見つけ出せれば、そのヒントを用いて、身体でそのヒントをヒント化する。
ヒント化出来た時「そうか」となり、それを血肉化する為、本番での使用に耐える為の耐久訓練に入る。

こういった考え方は、武道に完全に適用している、というよりも、これで武道と身体と実際を組み立てた。
もちろん、こう書いた程中身は単純ではない。
これらは本の中にある章立てのようなものだ。

この章立てから、小見出しを見つけ出し、最後に本文になる。
というような組み立てというか構造を持たなければ、何も実現しない。
もちろん、「汗をかいて楽しい」というレベルが自分の目的であれば、そんなややこしい事をする必要はない。
楽しくやっていれば良いのだ。

ドラムを練習台で訓練すると、叩けるようになる。
しかし、それと実際の演奏とは別だ。
また、ドラムを演奏出来る事と、曲や音楽にするというのも別だし、誰かに聴かせるのも別だ。
別と書いているのは、要素が異なるということだ。

そして、別だと書いてはいるが、それらは全部重なって同時にあるものだから、その区分けが難しい。
区分けをする、区分けが出来るというのは、審美眼が備わって来ているということでもある。
その目が武道を見ているから、日野武道研究所は取り組み方が皆とは違うのだ。

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