本能は負けず嫌いだ
競争社会が好都合だったというのは、「負けず嫌い」を助長してくれたのだ。
そしてそれは同時に「諦めない」という基本的な強さも養ってくれたのだと思う。
ただし、これが表面に出てくるのは、余程切羽詰まった時だけだ。
切羽詰まっていないときは、「どうだってええわ」と殆ど意思表示は無い。
しかし、切羽詰まった時は、どこからか「何くそ」と発奮するのだ。
もちろん、私自身そのことを知っている。
だから、日常生活を適当に流すことが出来るのだ。
何が重要で何が重要では無いか、そんなことを直感的、あるいは体感的に分かるのだ。
もちろん、「私にとって」はだが。
しかし、この負けず嫌いや諦めない気持ち、というのは、生命としては、本能的なものだ。
つまり、生存していく上で必要な要素であって、人為的な心理や気持ちというものでは無いということだ。
言葉として表すから、気持ちや思いということになるだけだ。
草花や樹木を考えた時、その生存本能の強さ、つまり、環境に適応できる力の差が、枯れるか生き延びるかになっている筈だ。
そしてそういった生命に、負けず嫌いや諦めないという言葉はない。
ただ「そうなだけ」だ。
そんなことを樹木という生命は示唆してくれる。