全ての接着剤は自分の問題として

生徒が昔書いたブログをFBでアップしてくれている。
145年前のものだ。

それを改めて読んでいて、現在の自分が書いた場合を想定すると、確かに深化していることがよく分かる。
その意味で、生徒達には「とにかく書け」と言う。
そこには明らかな違いが見えて来る筈だからだ。
逆に言えば、もし自分が成長しているのなら、過去の文書を読んで恥ずかしくなったりする筈だからだ。
つまり、自分を成長させるのは自分以外には無いということだ。

もちろん、ヒントになる本があったり、他人の話があったりはする。
しかし、それらはあくまでもヒントであって、直接的に成長に繋がるのではないのだ。
こればかりは、全てに共通する。

武道の型をする。
そこには何某かの意味や含みがある。
その型と意味をくっつけるのは、自分自身の考えや気付きであって、稽古量だけではない。

例えば、武道に残る言葉に「居着くは死、居着かざるは生」がある。
その言葉を一万回読んでも、あるいは覚えてもそれを実現することは出来ない。
また、その言葉を頭に置いて稽古を一万回やっても、それを実現することは出来ない。

そこには「この言葉はどういうことだろうか」という問題意識を持ち、徹底的に考える必要があるのだ。
そこを省いたり抜いたりすると、実現など起こる筈もないのだ。
そういった事も、体験の中から育んで来たことだ。
そこには、どれだけの時間や密度があったのかは忘れてしまった。
ただ、どうしたのか、という事は、おぼろげながら記憶にある。
それが、問題を徹底的に考える、ということだ。

もちろん、私がこの言葉「居着くは死、居着かざるは生」を実現しているとは思わない。
思わないが、少なくともそこに問題意識を持ち続け、ある種のやり方は編み出している。

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