稽古を編み出す
ドラムの訓練をする。
それは、指にかかる力や手首の柔軟性のチェックだ。
私はこういったマニアックな訓練が得意だ。
だから、武道の稽古は得意なのだ。
稽古が得意というのは、おかしな言葉だが、とにかく得意だ。
神田道場に来る空手の先生で、総合のトレーナーもしていた方がいる。
その人が「こんな練習方法は、どこかで習ったのですか」と質問してきた。
「いいや、全部自分で編み出したものやで。何よりも教えて貰うのが嫌いだから習わないよ」というと笑っていた。
人それぞれで、習うことで伸びる人もいるし、私のように独立独歩だから伸びる人もいる。
そこが人の面白いところなのだ。
ドラムの訓練をしていても、結局は武道の稽古をしているのと同じだ。
そして、その武道での身体感覚をそのままドラムに持ち込むという事も出来るのだ。
一芸は道に通ずるという。
もちろん、私が一芸に秀でているとは思わないが、一つの事の探求は深くなればなるほど、応用範囲が広がるのだ。
どうして自分で編み出せるかというと、そこにある目的が明確だからだ。
これを実現する為にはが明確であれば、じゃあどうするかは、自ずと見えて来るものだ。