またまた、言葉は通じない
専門的な話になればなるほど、言葉は通じなくなるのは当たり前のことだ。
専門にしているのだから、専門外の人とは感覚が全く違う。
その違うというのは、色が違うという違いではなく、質が違うのだ。
だから、想像すら出来ない。
というようなことを、普通に日常を過ごしている人は知っているのかな?
普通にというのは技術職ではなく、という事になるだろうか。
技術職の人達は、技術の違いを体感的に理解する。
しかし、それを言葉だけで理解するとなると、殆ど不可能だ。
でも不可能とは思わないのが普通の人だ。
そのことを不思議に思っていたのだが、ハタと気付いた。
どうして不可能とは思わないか?
それはその事に全く興味がないから、そして好奇心が働かないからだ。
何を見ても、何を聞いても、反応ではなく判断しか働かない。
当然、言葉を理解しているから理解出来ていると思っている。
だから、トンチンカンな受け答えになっている。
だが、日常ではその事すら指摘しないか気付かないかだ。
もちろん、面倒というのはある。
そして、その面倒は、そこで起こっている状況説明では止まらず、その人自身の育ち方やその環境までに及ぶからだ。
そして、そこまで面倒を承知で口を開いても、結局最後は「判断」で「分かりました」で幕を閉じる。
「だからあかんやろ」
は決して届くことはないのだ。