武道は自己成長の為の宝庫(改)
道場やワークショップに来る人は多種多様だ。
職業も目的も年齢も性別もバラバラだ。
武道でも、何かをやっている人、初めてやる人、動画サイトを見て興味を持って等々。
本当にバラバラだ。
中でも質問をしたり、何かと食いつきの良い人は、当たり前だが明らかに目的を持っている人、そして、好奇心が旺盛な人。
そして、それらの人で年齢が少し上の40歳代から上だ。
この人達とは、会話が弾む。
もちろん、武道の話なのだが、そこから派生した考え方の話になることが多い。
そんな人達は、必ず何かの役に立ててくれている。
当たり前だが、役に立てるという目的がないなら、後は、汗をかく楽しみしかない。
もちろん、どちらも楽しいのだろうが、私としてはその人の人生で役立てて欲しいと思っている。
武道は、考え方の宝庫だからだ。
それこそ孫子の兵法から陰陽他、関係にまつわる考え方は全てある、と言っても過言ではないからだ。
今月24日に大阪で武道セミナーをする。
例えば「避けてはいけない」という教えがある。
単純に考えれば、「避けなければ斬られるだろう」と思う。
しかし、そこには当然裏がある。
「相手に攻めさせる場所を特定する」という前提が必要なのだ。
もちろんこれは「そう思う」ということではない。
相手から「そう見えている」という状態だ。
だから難しいのだ。
その意味での、自分を成長させる鍛錬だともいえるのだ。
実際にそうなっていなければ、相手はそこに攻めてはこないのだから。
もしも、「そう見えてない」状態で攻めてくるとすれば、こちらのどこに攻めてくるのかは分からない。
となると、当然、こちらが防いだり、あるいは攻めたりをするのが難しくなる。
但し、これは試合や競技の話ではない。
ただ、格闘技経験者には、このことは実際として分かるのだが、経験のない人にはまず分からない。
という入り口の敷居の高さはある。
だから、経験のない人が分かるようになるまでに、時間は必要とするということだ。
もちろん、ここにも裏がある。
「相手に攻めさせる」という意識状態があるから、相手が突然攻めて来たとしても、余裕をもって何かしらの対捌きが出来るということでもある。
という具合に、どんなことにも前提条件がある、ということ一つとっても、人生で活用できるということだ。
人との会話でも同じだ。
相手の人はどんな前提に立って話を展開しているのか、ということに注意を向けるだけで、相手に対して好奇心を持つことが出来る。
武道というのは、そういった中身が実は大事な処であるし、それを知識として蓄積するのではなく、自分自身が「武道」を体験しつつ学ぶのだ。
つまり、知識の一部として意識に存在させるのではなく、実体としてその意識全体をその方向に向かわせるのだ。
大阪・武道セミナー11月24日(土)
https://www.hino-workshop.com/workshop-4